[15] 「慣れること」は「諦めること」?
早くもイタリアに来て49日が経った。
予想していた過ごし方とは違って、
受入大学との間での認識違い修復に振り回され、
ひたすらイタリア語で行われる講義の予習復習に時間を取られたりと
そんな感じの日々を過ごしながらでも
「あぁ、でもこの感じも慣れたなぁ。」と一息ついたけど
え?なんで慣れてんの?って。
未だに講義から内容を1mmも汲み取れんし、
イタリア語も要求一方的に伝えるだけで会話は満足にできんし、
研究はおもいのほか進んどらんし
そんな状況で慣れたの?って
できないこと目の前に並べて
慣れたーって何言ってるのか
やり方なり、外部からの刺激・情報なり毎日変わる環境に居て
慣れたってことは、諦めたってことなのかもしれない、と。
今のレベルに、現状に「これでいいやー」で終わらせて
工夫もこだわりも上昇志向もなく惰性で過ごしてる状態なんじゃないか
慣れたなって思う状況になっちゃダメなのでは
という焦燥に駆り立てられた。
そんな49日目。
特に今週は、「明日は火曜日やから〇〇して、水曜日は△△…」みたいに
機械的に行動しているところが多かったなって。
それでもいいけれども、せめて常に新鮮味をもって過ごさなければ、
1つずつでも新しいことにチャレンジする気持ちで
新鮮味さえ持てれば「慣れ」=「諦め」なんてことにはならないのではないか
と思いながら、布団にもぐる。
夜は5専攻合同のパーチーです。