[01]考察できるほどの基礎知識が欲しい
ブログするのなんていつ以来や、高校か。
今でもFacebook使ってたまにダラダラと書いたりするけど、あっちは英語に切り替えたから日本語のスペースとしてこっち使っていこうかなっておもいます
『いや、自分英語勉強しに行ってんねんから 英語で書けや』
なんも言い返せません(笑)
けど、今でさえ毎日英語で日記書いてるし、+αで自分の考え英語で書くなんて 語学学校行って、友達と遊んで、旅行もして、バイトもして、オナヌーもして、酒飲んで、クラブ行って、バカ騒ぎして…なんて1日じゃ足りひんので日本語で勘弁です
『遊んでばっかりやんけ、ふざけんな』
Yes.
遊ぶことと生活を共にすることが他文化を学ぶことやと開き直ってます。
ただ、一つ条件があって
安心してる自分がいたら赤信号やとおもうこと。
ぶっちゃけ暮らすだけなら、英語喋らんでも充分生活できてしまうのが、少なくともオーストラリアでの現状。
良くも悪くも工学の発展でなにひとつ不便がない。
多少の違和感はあれど この快適さに甘えてるのもまた事実で
引き際というか、どこまでこれらに頼っていいのか自分で線引きできないと大変なことになりそうでとても怖い。
薬も過ぎれば毒となる、過ぎたるは猶及ばざるが如し、とはよく言ったもので、これらに頼り過ぎてもダメ。かといって全く頼らないのはそれはそれでダメ(? 事例によるから断言できない)なのだ
以前、工学の発展はどこに行き着くのか考えを巡らせたこともあった。
途中で『ヒトって必要になるの?』って思ってしまい怖くなってやめてしまったけど(笑)
現代の流れにおいて 、
『発展』=『自分の労力を減らし、ラクで簡単なもの』になってることが自分の中での疑問点
……?
いまおもったけど、俺が考えたいのは『豊かさ』についてなのかな、
『豊かさ』≠『自分の労力を減らし、ラクで簡単なもの』
とはハッキリ言える
『発展』においては割と上の定義で間違ってはないのかもしれない。
豊かさってなんぞや。
もっと本とか読んどけばよかったなー
オーストラリアに日本の本置いてる図書館ないんかな…
あっ、こういうときにネット蔵書が使えるのか。
便利やな…笑